今月19日、ついにシェンムーⅢが発売された。
シェンムーは、1998年当時のSEGAがドリームキャストの発表時期に合わせて
発表した、総制作費70億円の超大作ゲームだ。
とはいっても、70億というのはサターン時代からの製作や技術研究、
いくつものイベント・プロモーション費用なども含んでいるらしい。
シェンムー 一章 横須賀(1999年)、シェンムーⅡ(2001年)を経ての三作目で
18年ぶりの完全な続編というのはもはや奇跡みたいなものと言える
(合間にシェンムー街やシェンムーオンラインなどの動きはあった)。
――細かい知識はさておいて、感想に移ろう。
製作スタッフは本当によくやってくれた。 完全にあの続きだ。
シェンムーⅡのラストシーンから始まる物語。
毎日、朝起きてシェンファと挨拶をかわし、台所のリンゴをもらい、
坂道を下りて人の多い場所へ行き、
「すみません」
「○○へ行きたいんですが」
「○○ならひまわり畑の先じゃよ」
「ありがとうございます」
…みたいなやりとりをしてゲームを進めていく。
もちろん時間も天候も変わるし、人々はそこで生活しているし
主人公の涼は遅くなればシェンファの家に帰り、情報収集の報告と
お互いの話をして一日を終える。
当たり前のことが、当たり前にある。
これがシェンムーという当たり前じゃないゲームだ。
涼は毎日戦うわけではなく、一日で簡単に強くなることはできない。
生活の合間に散打で技を練習し、寸拳や馬歩といった地味な修練に
時間を割き、少しづつ成長し、認められていく。
非常に退屈なゲームであるはずが、そこにリアリティがあるおかげで
プレイヤー自身が主人公である芭月涼となって、一緒に旅をしていく
というロールプレイングを濃密な体験としてもたらしてくれる。
合理的なゲームばかりがいいゲームではない、ということは、最近では
任天堂からリリースされた『リングフィットアドベンチャー』のような
例でも認めることができる。
やっていることにちゃんと理由がつけられているというのは重要だ。
『シェンムーⅢ』は前作までの雰囲気を守ったまま、技術的には
進化している。
当時のドリームキャストではギリギリだったフレームレートもわりと
快適になっているし、シェーダ表現も固定機能からプログラマブルな
ものへと変わった上で雰囲気を損ねないような按配のグラフィックに
なっている。
細かいところを見ていくとオミットされた機能にも気づくことが
できるが、全体的にパワーアップしているので取捨選択の範囲だろう。
シリーズ経験者が戸惑う、最も大きな変更はバトルシステムではない
かと思う。
技コマンドが方向ボタンを使わないものに方針転換している。
例としては「→、→、P」は「×、×、○」になったりしているので
馴染みのコマンドは一旦憶え直しだ。
「右手の指でたくさんボタンを押せば何かしら技が出る」という仕様は
以前よりバトルを忙しいものにしている。
成長システムも明確なものになった。
強さはクンフーレベルとなり、そのレベルを上げるためには先にあげた
修練や技書の入手が必要となった。
そして技書は高額だ。
懸命に薪割りなどのバイトをするか、賭け事をするか、あるいは
入手したアイテムを質屋で交換してもらう、など金策も練ることになる。
こんな感じで「懐かしくもあり、前に進んでもいる、オンリーワン」の
ゲームが還ってきた。
万人に薦めるわけではないが、自分のように刺さる人もきっといると思う。
ちなみに私の家族はシェンムーのことを憶えていた。ちょっと嬉しかった。