任天堂の新しいゲーム機がいつまでも発表されないなぁ……と思っていたら
『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ』なんてものが発表された。
海外ですでに発売されているNES型ビデオゲーム玩具の日本版といえるもの。
229gと小型軽量で、昨今のコントローラよりも軽かったりする。

いっそファミコンの話でも書いてみようか。

自分が最初にファミコンと出会ったのは1985~1986年くらい。
世の中で『スーパーマリオブラザーズ』が大人気となっていた時期だ。
ファミコンを持っている子の家にみんなが集まって順番に遊ぶ、という感じで
対戦プレイはまだメジャーではなかった。

我が家にファミコンがやって来たのはスーパーマリオブラザーズ3が出るかどうか
というタイミングだったから、おそらく1987年冬から1988年春ごろ。
すでに『ロックマン』も一作目が発売されている時期だが、まだ存在を知らなかった。
そのとき我が家にあったソフトは『エキサイトバイク』『ポパイ』『ドンキーコング』
『マリオブラザーズ』『ゴルフ』『四人打ち麻雀』などだ。

父のおすすめは『エキサイトバイク』だった。
他のバイクゲームは転んでしまったらおしまいだが、これは転んでも続けられる、という
風なうたい文句だった気がする。
この『転んだらおしまいなバイクゲーム』というものが永らく謎だったのだが、セガの
アーケード筐体『ハングオン』などのような制限時間がシビアなゲームのことを指していた
のではないかと今では推察できる。

『ポパイ』は海外のコミック、アニメのあのポパイだ。水兵さんが缶入りのホウレンソウを
食べてパワーアップ。悪漢ブルートを倒してオリーブを救出する、という王道の流れ。
なぜホウレンソウを食べてパワーアップするのか? それは栄養があるからで、毎朝のように
食卓に出るホウレンソウは必要なものなのだと、我が家の食育にも一役買っていたはずだ。
水兵がなぜ我慢してホウレンソウを食べる必要があるのか最初はわからなかったが、缶の
ホウレンソウはとてもまずい食料だったらしい。 日本は恵まれていると子供心に思ったものだ。
このゲームを通して、ゲームは一度クリアしたら最初の面の難しいモードにまた戻る、という
基本を教わった。この時代のゲームにはエンディングというものがまだほとんどなかった。

初代『ドンキーコング』もマリオの登場作品として有名だ。あの赤いカセットの色はなんだか
親しみを抱けず、あまり好きでない。『ポパイ』も『ドンキーコング』もモンスターな悪役から
女性を救い出す、という当時の王道をなぞっている。『ドンキーコング』では転がってくる
タルをうまくジャンプでよけなくてはならないので比較的シビアな操作を要求される。
このため『ドンキーコング』は難しいゲームという印象だった。

自分としては『ポパイ』の方が楽しいと感じていた。類似点の多い両者の違いは、無敵時間に
なったときにスカッとできるかではないかと思う。
ハンマーは障害物を壊すことができるが、あくまでルートを進行する手助けといった要素だが、
ポパイのパワーアップはフラストレーションやヘイトの中心であるブルートをブチのめすことが
可能になり追うもの、追われるものの関係が逆転する。これはパックマンですでに示されている
ゲーム性だが、こういう要素の使い方は『ポパイ』の方が一枚上手だったのではないだろうか。

『マリオブラザーズ』まで触れておこう。
『スーパーマリオブラザーズ』の前進であるこのゲームはマリオとルイージをそれぞれ同時に
操作して、土管から登場する敵をブロックの下からたたいてひっくり返し、これを蹴って倒す、
というゲーム内容となっている。 すでに『スーパーマリオブラザーズ』の存在を知っている
自分にとっては、スーパーマリオを買ってもらえない立場での代替物であった。敵はノコノコ
ではなくカメさん。カメさんは弱いが、次のカニさんは際立って強く速い。ファイターフライは
カトンボと呼ばれていた。 当時の自分もパプテマス=シロッコのように、「落ちろ、カトンボ!」
という気分で挑んでいたことを憶えている。
スーパーマリオとの違いは多く、画面は固定で背景の移動はなく、敵の全滅が目的であり、二人
同時プレイが可能だ。 味方に踏まれて身動きがとれないうちにやられてしまい、リアルでキックが
飛んでくる、なんてこともざらだった。

体験のひとつひとつを憶えている、ということは尊いことだ。
ビデオゲームが面白さや美麗さ、技術的価値やメッセージといったもの以前に、純粋な体験で
あることを思い出せたような気がする。