今期のアニメのひとつである「ガンダム Gのレコンギスタ」。
実は最近までスルーしていたのだが、ネット配信で視聴する機会があったのでチェックしてみた。

総監督・脚本を富野由悠季が手がけるロボットアニメだが「機動戦士ガンダム」のような戦争モノ
よりは「∀ガンダム」に近い、SFにアドベンチャーと情勢の緊迫感を与えた感じの作風だ。

主人公であるベルリは生育環境に恵まれ、真面目でもなく超然としていて、優れているけれど
安易な行動で物語の序盤に取り返しのつかない過ちを連発する。子供の考えで命のやり取りが
起こる場に安易に身を置けばこうなって当然だよね、気づく機会があっただけマシなのかな、
くらいに思えてしまう。

どうにも感情移入できるキャラクターを見つけづらく、情勢や単語の理解が追いつかないアニメでは
あるけれど、メインキャラは全く同じ立場の者はおらず個性的で、物語は停滞せずテンポよく進み、
尺の情報量も多いため退屈はしない。 こういった部分は流石にベテランの仕事だと感じる。

中でも架空のメカがいるSF世界を表現するにあたって必要な、ごく当たり前の描写が丁寧だ。
モビルスーツが出てくるシーンはモビルスーツ同士の戦闘よりも人間とのセットで描かれることが
多い。 確かに戦うだけが巨大ロボットではない。 およそ人間の10倍サイズであることを
視聴者に伝えるためには、コクピットを開けてみせたり、掌に人間をのせて運んだり、発進の際に
人を踏みそうになったり…というシーンがあることで、巨大ロボットがいるのだという説得力が出る。
まさに忘れがちな基本を抑えている、という印象を受けた。

自分が普段見ているロボット作品には、こういった描写がどれだけあるだろうかと振り返ると少し
ぞっとする。 ロボットの凄さ・強さ比べや人物の心理がどれだけ優先されていたのだろうと思う。

極端なことを言ってしまえば、人物を描く感覚で巨大ロボットを描き続けていると、やがてそれが
18メートルなのか、それとも1.8メートルなのかわからない、本来は大切だったはずの情報が
抜け落ちたものになってしまわないだろうかと感じる。

イラストを描いたりプラモデルを作るときにも、スケール感を重視するか、アニメ作画のイメージを
忠実に再現するか、といった取捨選択がある。 3DCGでも同じだ。 むしろサイズを自由に変化
させることができる分、なにか基準となる情報が加わることを必要としているのでないだろうか。

もちろん作品の方向性によって、『ここは説明しなくていいよね』という労力を割くべきでない
部分は出てくるものだろうが、科学なり魔法なり、ファンタジーの非現実性と向き合い基本を
押さえた描写が様々なジャンルでもっと見かけられると嬉しい。