陽気も暖かくなり、こころなしか行動が活発になる時期に入った気がする。
スギ花粉のことは多少気になるが、自分自身の体調にあった、いい季節だと感じている。
自分にあった環境やペースを見つけ、時々そこに戻れるようにしておくことは大切だと思う。
今回は「個人で自由な機会に楽しめるゲーム」について書いてみよう。

●「個人で自由な機会に楽しめるゲーム」とは何か

・ソーシャルネットワークサービスではないもの
インターネットの普及で、ゲームを遊ぶ際に他人と関わる機会は増えたが、ゲームを
プレイする理由が「誰かがやっているから」「誰かと話題を共有したい」というものに
置き換わっていやしないかと考えることがある。 ゲームを一緒にプレイする相手の
良し悪しがゲーム内容の良し悪しよりも重要な場合は実際多い。
他人との共有はヒット作品には必要な要素かもしれないが、今回は一旦離れてみよう。
Twitterや動画配信のような「誰かと共有してライブ感を味わいたい」という目的のものも
ここでいうSNSゲームに含むとしている。

・プレイする機会によってボーナスやペナルティを受けない
昨今のゲームでプレイヤーを縛る要素は何も他人との関りだけではない。
毎日のログインボーナスや時間回復するプレイ権利(体力)、あるいはしばらく起動しないと
ゲーム内キャラクターとの関係が悪化するなど、ゲームの都合にプレイヤーが振り回される
仕様はプレイ機会の自由を奪うことにもなりかねない。

・一人用であるもの
相手すらいない一人用のゲーム(あるいはゲームモード)。
クリエイターからの出題をクリアできるかという、人間ではなくゲームとの対話・戦いだ。

・サービス運営でなく、保存性のあるもの
一人用で他人と関わらないとしても、運営の都合で内容が一新されたり、サービスが終了
してしまう場合があるのなら自由とは言いがたい。

・具体的には……
>ストーリーを楽しむRPG、デジタルノベル
>リズムゲーム(アーケードよりは家庭用ゲーム機)
>ステージクリア型のシューティングゲーム、アクションゲーム、パズルゲーム
>ドライビングゲームなどのシミュレータ系タイトル

●「個人で自由な機会に楽しめるゲーム」の何がよいか

誰かにプレイ機会を左右されず、他人と合わせず、比べず、関わらずに、ひたすら作品と
向き合って楽しむ。 他人への印象を一切含まない、自分だけの体験に没入する。
これは読書の感覚に近いかもしれない。 精神的にニュートラル。 だから気持ちが楽だ。

私は過去にはロックマンやセガのゲームをシングルプレイで楽しんでいた。
もちろん友達と過ごす時間も楽しかったが、今でもゲームを続けていられるのは一人で
ゲームを楽しむ習慣があったからだと思う。
もしかするとあれは自分なりの感覚をニュートラルに戻すための儀式めいた行為だったのかも
しれない。 そして、こういったことは今でも再び試すことができるはず。

最近は発売当時にプレイ機会を逃していた『パンドラの塔』をプレイしていたが、単純に
ストーリーの行き着く先を案じながら、煩わしい敵や謎解きをクリアしていく時間はなかなか
充実していた。 ゲーム自体への評価は名作というより雰囲気と個性重視の作品、といった
印象なのだが、わりとゲームに追い立てられるような遊び方ばかりを続けていた自分にとって
意外なサプリメントとなったようだ。

今回の体験で「個人で自由な機会に楽しめるゲーム」の良さを再発見したように感じている。
もしこれを読んだ人がいたら、自分の趣味が本当に自分自身のペースで楽しめているのか
一度見つめなおしてみてはどうだろうか。