最近、エフェクト製作の為にランダム処理の勉強をすることにした。
ランダム処理への取り組みを避けてきた理由は、「ランダム要素をゲームに
導入しても、面白くなるどころかつまらなくなる」と勝手に思っていたためだ。
●ランダムの使い道
それでもランダム処理は様々なシーンで必要になってくる。
カードのシャッフル、サイコロの出目、RPGにおける敵の行動パターンや
状態異常の成功確率、ダメージ誤差、アイテムのドロップ率にシミュレー
ションゲームの命中率…飛び散りエフェクトなども、物理計算はそこそこに、
ランダム処理に頼る場合が多い。
●ランダムは便利。 でもランダム“だけ”ではゲームにならない
ランダム処理を導入すると、ゲームの展開を確率によって操作することが
できるので、簡単に毎回違う結果をプレイヤーに見せることができる。
ただ、“毎回違う結果が出せる”というだけではゲームとは呼べない。
そこにはプレイヤーに自由と個性が与えられていないからだ。
●“確率をコントロールする”テクニックという自由
ランダム要素が展開を支配してしまうと、プレイヤーには結果だけが突き
つけられてしまう。 創意工夫も駆け引きもなく、プレイに対する
モチベーションも必要とされない。 そこには人が、“個”がいない。
ゲームには必ず何らかの意思選択が与えられる。
ボードゲームでもサイコロ、ルーレット、ドローなどランダム要素に頼らず
手札の使用、資産運用、妨害対象の選択などは自分で指定するルールが多い。
カードゲームでいえばデッキ構築だ。自分で組んだデッキは自分の想定の
範囲内で最大性能を発揮し、手札の組み合わせも選択の結果だと納得できる。
●100パーセントの勝敗が確約されるとゲームではない、別の何かになる
逆にランダム要素を擁護してみると、“不確定要素がないゲームは作業に
なってしまう"ともいうことができる。
フィールドを歩き回って、エンカウントし、モンスターを倒す…RPGの
レベル上げは、正しい手順を踏めば失敗することがまずない場所で
行われることが多い。 おそらくレベル上げ中に全滅したらプレイヤーは
イライラするだけだろう。
簡単すぎるゲームも、難しすぎるゲームもモチベーションを奪ってしまう。
“不確定要素がないゲームは作業になってしまう”と書いたが、
それがゲームでなく、宿題や仕事、気分転換としての役割をもつことも
ありうる。 不確定要素を排除することにれっきとした意味があれば
問題ないのかもしれない。
●ランダム要素の排除が求められる『チャレンジ』
レースゲームで最速ラップにチャレンジしたり、シューティングの
スコアアタックを行ったり…
常に同じような状況に対する結果を競う場合、ランダム要素(運)が
加わると、せっかくのチャレンジが台無しになってしまうことがある。
例えば、ランダム要素によってボスが長時間無敵状態になる攻撃を頻繁に
行うケースがあれば、タイムアタックは運ゲーになってしまう。
タイムアタックなどを仕様に含むゲームは、ランダム要素に頼らないよう
特に注意して作られている必要があるようだ。
●まとめ…
・ランダムはゲームの根幹でもエフェクトでも使う…ので外せない
・ランダムだけではゲームは作れない
・プレイヤーに何らかの自由な選択をさせる
・ゲームに不確定要素はおおむね必要
・不確定要素がない場合、ゲームではなくなるが、別の価値があればよい
・最高記録にチャレンジするゲームではゲーム結果に関わるランダム要素を
使用すべきでない
●おまけ 不確定要素は“ままならなさ”?
…ここまで考えて気になったのは“不確定要素”についてだ。
“不確定要素”を、そのまま“ランダム要素”として解釈しなければ
適当な回答が出せそうだと思う。
実車タイプのレーシングゲームや、初めて2Dマリオを触った時に感じる
操作の難しさ“ままならなさ”は、不確定要素を導入するために必要なこと
なのかもしれない。
私は今までアクションゲームに対して操作性のよさを求めていたが、
操作には“ままならなさ”も必要だとすれば、応答性がよく、正確で従順なだけの
操作性は、ゲームにおいては一概に理想形といえないのかもしれない。